戦後、街の姿は刻々と変化してきました。海外では、生まれた故郷の風景が死ぬまで変わらない、という話を、我が国が高度経済成長真っ只中の頃、聞いたことがありました。今では、世界中が自然環境も含め著しく変化しています。公共インフラの手入れが限界になりつつある今も、1年前と異なった姿が現れています。ところが、街の変遷を記録したものが意外と少ないのです。新岐阜市史の編纂で古い写真を市民から募集した際も、風景写真は余りなかったようです。家庭のアルバムも、被写体のほとんどが人物ではないでしょうか?街並みや風習などは意識しないとなかなか撮影しないものですよね。とりあえず、粟野の定点撮影をして記録してみましょう。

黒木橋から見た粟野台【東北の袂から望む・2020.4.11】
黒木橋から見た眉山【東南の袂から望む・2020.4.11】
粟野台から見た南方面【南の階段上から望む・2019.11.6】
済法寺の西から見た南方面【粟野西8丁目・2020.4.11】
大龍寺から南西方面の眺望【2021.9.15】
済法寺から南西方面の眺望【2021.10.30】
粟野台から南東方面の眺望【2020.4.16】
国道246号の鳥羽川高架橋から南西方面の眺望【2021.10.5】
国道246号の鳥羽川高架橋から西方面に架かる虹【2021.10.20】
国道246号の歩道橋から南東方面の眺望【2021.9.25】