阪神・淡路大震災が発生したその夏、被災して亡くなったはるかちゃんの自宅跡に芽生えたヒマワリは、救助にあたった近所の藤野さん(故人)によって「はるかのひまわり」と名付けられました。
 その種をまき、育て、種を分け合う活動は全国に広がり、命の尊さ、絆の大切さ、防災の意義を訴えています。
「安全・安心・絆のまち」として、岩野田北地域ビジョンに、地域の防災、人の交流、環境美化を掲げるまちづくり協議会でも、はるかのひまわりを育て、種を採取し、活動の輪を広げる運動に参加することとしました。
 令和5年、活動の事務局である神戸市の団体「はるかのひまわり絆プロジェクト」から、100粒の種を送っていただきました(その後、岩野田中学校、岩野田児童センターから応募があり、更に400粒を追加しました)。それぞれ、枚方市、亀岡市、関市のボランティア団体が育てた出生証明書が添えられていました。
 その後の開花状況や種の配布など活動内容については、次の「この指とまれ」運動の関連記事をご覧ください。

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はるかのひまわりチラシ 名札・はるかのひまわり


▲枚方市で採取された種をボランティアの方が蒔きました(令和5年5月3日)


▲無事、芽が出ました。(令和5年5月7日)