岩崎1号墳への道
岩野田・岩野田北の地域には、およそ1,600年前に造られた古墳が、いくつか確認されています。眉山山頂の鎧塚古墳(前方後円墳・全長82m)が最大で、郷土誌によると、次のような古墳群があったと言います。まずは、眉山南麓の「岩崎古墳群」(7基あったが、大正末期までにほとんど消滅し、昭和38年まで6号墳が残り、最大規模の1号墳が現存)、そして粟野丸山の「岩野田古墳群」(5基あるとされる未確認)、その東に位置する粟野小坂山・注連山の「粟野古墳群」(8基あるとされるが3基を確認)、すでに明治時代に消滅した「三田洞古墳群」(3基)、そして粟野西7丁目の「西粟野古墳群」(四ツ塚と言われ4基あったとされるが、郷土誌によると3基が確認されている。現在地は不詳)です。また、岐阜薬科大学の体育館、畜産センターの北側駐車場にも古墳があったと言います。
コミバス通信(9月1日号)で、古墳巡りを特集するため、岩崎古墳群の現存する岩崎1号墳を取材に訪れました。古墳の横に石室内部への通路を設けた「横穴式石室」です。岩崎桜本のバス停からすぐの、眉山の南麓の竹林の中にあります。ガイド役をかっていただいたKさんのおかげで、まっすぐたどり着くことができました。今一度、地域の史跡に目を向けたいものと、改めて思いました。9月発行のコミバス通信もお楽しみに。