古墳がアツい!!

 7月22日の投稿で事実関係が疑問に残った、「西粟野古墳群」と「粟野西7丁目・阿弥陀寺の南に位置する円墳らしき盛り土」について、意外な事実が判明しました。岩野田郷土史の地図は、粟野台の開発前の丘陵地点を西粟野古墳群と表示(下図参照)しているのですが、市史では、阿弥陀寺の南を西粟野古墳群と表示(7月22日の投稿参照)しているのです。
 何より不思議なのは、郷土誌の記述は、基本的に市史を引用しているにもかかわらず、西粟野古墳群の位置については、異なっているのです。だとすれば、郷土誌をまとめる際に、場所を修正をかけたとしか思えません。
 市史が正しいのか、郷土誌が正しいのか、現時点では分かりません。ただ、円墳らしきものは、近隣では古墳と認識されていることからすると、市史に記されている西粟野古墳群(四ツ塚)と考えれば、腑に落ちます。しかし、真実はまだ闇の向こう。
 引き続き、情報をお寄せください。「地域の山・古墳群」参照。

▲番号の3が「西粟野古墳群」を指しています。岐阜市史資料編(考古・文化財)239ページ
▲右上2品と左上1品が、西粟野古墳群出土の須恵器。左上の下が、鎧塚古墳出土の埴輪の一部。銅鏡は、金池古墳出土(粟野台団地の開発前の丘陵北側)。岐阜市史資料編(考古・文化財)693ページ

古墳がアツい!!” に対して1件のコメントがあります。

  1. iwanodak より:

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