古代・・・この地域を支配した豪族は誰?

 “眉山と鎧塚古墳を学ぶ会”の例会が、18日、岩野田北公民館で開催され、この地域の有力豪族について、話し合いました。
 その昔、美濃の国を支配した有力豪族(国造)は主に3人で、いずれも天皇あるいは物部氏との血縁関係にありました。
 しかし、粟野を含む岩野田を支配領域とした豪族の線引は難しく、鎧塚古墳は、「岐阜市北部地域最大の古墳でありながら、支配領域が明確でない特殊な古墳」であり、かつ被葬者は「ヤマト王権と関係を密にできる大きな勢力」と岐阜市史では指摘しています。
 また、岐阜市史や養老町史などによると、この地域には、国造の一人で、武儀郡などを拠点とし、壬申の乱で活躍した牟義都(ムギツ)一族が、方県郡(当時の岩野田地域が属した)に居住していたことが記されています。
 更に、我が国最古の「三井田里戸籍(みいだりこせき)」(岩野田・太郎丸・高富町などが対象区域)には、鉄器を製造した部民の名が記され、岐阜市史では「壬申の乱での製鉄や武器の生産・供給を担った」と推測されています(粟野西の小字名に鍛冶場を想定させる「鐘鋳」の名も見られます)。
 3人の国造の中で唯一、墓の推定がなされていない牟義都国造は、日本武尊の兄の子孫で、有力な被葬者としての可能性を秘めています。
 “学ぶ会”の例会は、次回2月15日、午前11時から岩野田北公民館で開催します。年齢・地域を問わずどなたでも参加自由。
 一緒に鎧塚古墳の謎に迫りましょう。

会報4号・8.1.18

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