2020年11月29日 ちょっとつぶやいてみるけど・・・これでいいのかな?

2025.11.3 今日は手塚治虫生誕マンガの日

 今や漫画文化は、クールジャパンの中心。世界中で日本に興味を持つ人が増えた要因の一つと言えます。
 物心つく頃、頭が悪くなるから読んではいけない、と父親から言われました(ディズニーの白雪姫などの絵本は与えられたのに)。確かに、最初に目にした漫画は、暗く、ストーリーも理解しにくい代物でした。しばらくして、兄が何処かで借りてきた杉浦茂の忍者の漫画は、脳裏に焼き付くインパクトがありました。大きな蝦蟇にまたがった児雷也は、まさにポップカルチャー。「漫画は面白いな」と思った最初の記憶です。
 その後、しばらく漫画とは距離がありました。貸本屋体験は遅く、小学生の時に開店した店で(私は借りる手間が面倒で利用した記憶はあまりありませんが)、棚に並んだ墓場鬼太郎には共感できないものの、目を引かれました。
 本屋の店先で「少年サンデー」を目にしたのは小学校4年の頃。1冊30円でしたか?寺田ヒロオの「スポーツマン金太郎」もその時代ならではのほのぼのした作品でした。横山光輝の「伊賀の影丸」には、一コマ目の小さな絵にも心躍らせました。獅子丸が危機に陥る下りでした。漫画雑誌の双璧である「少年マガジン」(少し遅れで創刊された当時の「少年ジャンプ」は、友達はハマったようですが、どうも魅力を感じませんでした)は、ちばてつやの「ちかいの魔球」。月刊誌の「少年」も、漫画の小冊子の付録も魅力的で、「鉄腕アトム」と「鉄人28号」、白土三平の「サスケ」を何度も読みふけりました。
 大人になってからも、漫画は手元に。画力、ストーリーともに秀でる石森章太郎の「佐武と市捕物控」、そして「ゴルゴ13」のシナリオも捨て難い。ジョージ秋山の「浮浪雲」も良い。バタ臭さで圧倒したのが、モンキーパンチの「ルパン三世」と寺沢武一の「コブラ」。まだまたあるけれど、またの機会に挙げるとして、伊賀の影丸のほかにも初見で忘れがたい一コマを記します。 
 いずれも、A4判の週刊誌の見開きいっぱいに描かれた画の圧倒的な迫力に目を奪われました。それが、「どろろ」の2匹の化物が歩いて行くシーン、「ドカベン」が下駄を履いて駆けてくる初登場シーン、「犬夜叉」の百足女郎が蠢くシーン・・・今でも心が躍ります。
 言うまでもなく、発想は、漫画の命。高橋留美子、あだち充、小池一夫が創る数々の世界は、まさに芸術的。
 今朝の新聞に劇作家も描かない物語が掲載されています。メジャーリーグのワールドシリーズで優勝したドジャースの記事です。翔平が1試合9打席全出塁、由伸が4勝中3つの勝利というヒーロー漫画でもありえない結末、それに、チーム一丸となった予見不可能なドキドキのストーリーが、息もつかせず展開されました。これは、間違いなく漫画より奇なり。

2025.10.27 秋の庭に咲く野草

 一気に冷え込みが強まり、秋の草花も大慌てしながら、精いっぱい花を開かせています。ホトトギスは、数年前、粟野台の団地の樹下で見かけましたが、掘り取られたのか、今は見かけません。庭のホトトギスは、園芸店で昔買い求めたもの。この夏の日照りにもかかわらず、元気に満開。鉢植えの白花ホトトギスは、山県市の奥の大桑の崖下に生えていた株が挿し木で増えたもの。その後、訪れた時には、跡形もなく姿を消していました。オミナエシ(トップ写真)は、園芸店で買ったもので、野生種は10年以上前に長良川の左岸で一度見かけたきり。
 昭和30年~40年にかけて、サギソウが300円ちょっとの値段で売られ、素焼きの鉢に青々としたミズゴケで植えられていました。よく見ると、モウセンゴケが混じって生えています。自生地で掘り取られたものに間違いありません。
 この頃には、通販でサボテンの種を入手できました。園芸の月刊誌の広告で業者を探しては、園芸店ではまだあまり売られていなかった多肉植物やサボテンの株とともに、種を買い求ました。バオバブや奇想天外など、今では入手不可能な種類も、数粒千円以下で売られていました。ワシントン条約は1975年に発効していますから、それ以前のことです。
 地球温暖化やプラスチックによる環境汚染などが指摘されて久しいのですが、環境保護や生物多様性に関する意識は、今日、どこまで高まっているでしょうか。

▲園芸店で入手したホトトギスが機嫌よく咲いています
▲雄大に懸垂して咲き誇る白花ホトトギスは、挿し木で増えたもの

2025.10.23 神無月

 旧暦10月は、神無月。全国の八百万の神々が、出雲の国に集まる月。なので、出雲では神在月と言うそうです。9月にスタートしたNHKの朝ドラは、小泉八雲を主人公にした物語が放映中。没落士族の娘が主人公。実在の人物をモデルにするのが、当たりはずれがないようですね。
 そう言えば、私の父の先祖は下級?武士だったらしく、廃藩置県で、わずかばかりの公債証書が与えられたのでしょう。東京の浜町あたりの生まれのようですが、どうやら住まいの賃貸で生業を立てたようです。当時は、土地よりも家屋の方が価値があったのでしょう。しかし、関東大震災ですべて焼失し、地方へと逃げ延びました。9人兄弟のようですが、松江方面にも縁者がいたようで、父と母も訪ねたことがあると聞きました。町のたたずまいに心を奪われ、母はもう一度行きたい、とよく話していました。
 私も小泉八雲邸に、昭和50年に訪れました。その当時も、少なからず人が訪れていました。屋敷を守る、品の良いおばあさんは、巷で有名でした。普段着の着物をしゃんと着こなし、気品を備えた人でした。ネットでも、名前がわかりませんが、八雲邸を訪ねさえすれば、多分判明するのでしょうね。
 先日まで暑さに閉口していたのに、急に寒くなりました。一気に秋は深まりそうです。
▲鳥羽川堤河川敷のススキが光り揺れています
▲虫の音も少なくなりました。これは、マツムシ
▲クモは神の使いとか。これは、ナガコガネグモ
▲ウルシの仲間のヌルデの花
▲こんな大木になってるヌルデ
▲思い草の名で万葉集に登場するナンバンギセルの鉢植え。野生ではお目にかかったことがありません
▲中秋の頃の名残の月

2025.10.14 石をも貫く

 12日、岐阜市出身の作家・松田悠八さんが亡くなられました。享年85歳。先の日記にも綴ったばかりですが、「長良川スタンドバイミー一九五〇」が、この夏、映画化されて上映されました。2009年2月4日に、映画化を目指す会が立ち上がってから16年。もう、とうに忘れ去られていました。海外の映画祭で受賞し、全国公開された映画「光る川」は、原作とは似ても似つかない内容でしたが、それも飲み込んでの原作者の強い思いが、実現へとつながりました。
 話は変わって、粟野から見る秀麗な眉山は、江戸時代に頼山陽が命名しました。その山頂の標高差207mの場所に、墳長82mの前方後円墳・鎧塚古墳があります。この標高差と規模の全国ランキングデータがないことから、6,799の古墳を調べ上げたところ、5本の指に入ることが分かりました。住民、市民にもあまり知られていない古墳と眉山について、先月、学ぶ会が立ち上がりました。標高が高いだけの理由で国指定史跡を目指すことは困難でしょうが、他の類似の古墳はすべて国指定となっています。
 目標とすべきは国指定でしょうが、短期的には仮に異なる結果が導かれるとしても、情報を収集・蓄積し、地域はもとより市の貴重な宝となるよう、次の世代に志を引き継がれるような第一歩となるよう、願ってやみません。

2025.9.24 ハヤシライスの日

 そう言えば、9月8日は、ハヤシライスの日でした。丸善株式会社の創業者・早矢仕有的(はやし ゆうてき、1837~1901年)が考案したとされるハヤシライス。日本を訪れた多くの外国人に振る舞った肉や野菜の煮物が始まりとか。
 早矢仕有的(はやしゆうてき)は天保8年(1837)、山県市(粟野台団地と隣接)の生まれ。当初は医師を志し、後に江戸に出ると福澤諭吉の私塾(後の慶應義塾)に学び、横浜で洋書や医療器具を販売する「丸屋商社」(のちの丸善)を創業。没後125周年に当たり来年1月2日~1月13日まで、丸善の丸の内本店(東京都千代田区)で、「早矢仕有的資料展」が開催されるそうです。
 同社は、レトルトパックを発売しているらしいが、マーサ21内の丸善では、入手できませんでした。
 そこで、まちおこしを目的に「早矢仕ライス」を発案・提供している山県市の洋食店「久助」(バローの東)へ昼食に。以前、NHK「家族に乾杯」で笑福亭鶴瓶が店を訪れていましたね。くどくなく、あっさりとしていて、とても好感が持てる味でした(トップ写真)。ご馳走様。

2025.9.23 蚊の出番

 毎年、盆前後は蚊も暑さを避けて休眠状態のようですが、この夏は、終始お休み状態。雨が降り続き、ようやく涼しくなってきた証しでしょう、いよいよおでまし。25~30度で活発に動き回るのだそうです。
 夏の縁側の香りと言えば、蚊取り線香ですが、昨今は、いろいろな忌避剤、殺虫剤が出回っています。蚊取り線香は忌避剤の役割も果たしつつ、ポトリと蚊が落ちる殺虫剤の強みもありました。そう言えば、豚の陶器の容器が懐かしい。
▲いつ買ったものか? 今年は特に、しまいっぱなし。まだ効くかな?
▲江戸時代後期の「蚊遣り豚」 (新宿区立新宿歴史博物館所蔵)
▲気温20℃(9/23 6:38am)

これ以前の日記は、バックナンバーをご覧ください。「直近の日記」は、再編集の作業中です。

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