2020年11月29日 ちょっとつぶやいてみるけど・・・これでいいのかな?

2025.7.2 米不足?

 昨夏の8月末、突然、米売り場から米が消えて、間もなく1年が経とうとしています【トップ写真は昨年8月20日撮影】。当時は、「間もなく新米が出回るので心配ありません」・・・その後の迷走はご存じの通り。
 米価が高い、安いはともかくも、売り時を見定めるかの如く、市場から米は消えました。
 水戸黄門の時代のことと思いや、何と買い占め、売り控えが現実に?
 江戸時代で言えぱ、お助け米が出回りだした途端、銘柄米が山積みに。
 消費者運動も盛んではなくなった近年、もとより打ち壊し騒ぎにも発展しない非行動社会とでも言いましょうか、的確な情報もマスコミも報道できないまま、国の施策の妥当性も判断しずらい感があります。
 米の適正価格が生産者に反映されるよう、さらに自給率向上、里地里山と国土の環境保全を国策に求めたいもの。
 折から、トランプ大統領が、「米不足なのにアメリカ米を輸入しない」とご立腹。国民にも米(こめ)関連の政策の全容が届かない状態で、他国に理解させることができるのか、本当に不安。
▲銘柄米は5kg当たり4,000円台後半に【7.3.22】
▲備蓄米放出決定後も値段は変わらず【4月3日】
▲ますます高騰【6月5日】
▲価格高騰ばかりか、米が棚から再び消え始める【6月6日】
▲突然、銘柄米が山積みに【6月15日】
▲市内にも備蓄米入荷予定の張札が【6月16日】
▲進む農地の宅地化
▲近畿地方では、6月27日、統計史上最速の梅雨明け宣言(6月9日梅雨入り)。米にも影響が?
▲地域に伝えられていた雨乞い踊り(岩野田郷土誌より)

2025.6.28 品格のある町

 隣接する住宅が排ガスの影響を受けないよう、店舗の駐車場の多くは、「前向き駐車でお願いします」とのサインボードが掲げています。市内の駐車場では、おおむねトップの写真のように、マナーを守って駐車しています。ところが、よその市に車を走らせると、いつ訪れても9割がた、後ろ向きで駐車してある店舗があります。トップ写真の看板より、大きく、わかりやすいイラストもかかれているのにどうしたことでしょう。読解能力なのでしょうか。そもそも、我が家が同じように隣接することをイメージすれば、実践できる気がするのですが。
 地域では、ポイ捨て・不法投棄がとみに目立つようになりました。上流部から流れついたり、通過交通が放り投げて行ったりと。
 訪日外国人が「ごみ箱が見当たらないにもかかわらず、日本はごみ一つ落ちていない美しい国」と異口同音に唱えるのは、品性ある都市部か観光地?
 品格ある都市・町を目指すことは、どの地域のまちづくりにも共通するテーマ。

▲お隣りの市の大規模スーパーの駐車場のありさま
▲上流部から流れついたごみ。県内で唯一無料だった岐阜市の普通ごみ収集も有料化に向かっている
▲通過交通の多い道路に面した田は、冬になるとポイ捨てごみが目立つように。農家にとっても大迷惑!!

2025.6.20 アジサイの山寺に想う

 我が家から車で20分足らず、お隣の山県市の三光寺にアジサイ見物に行きました。ネットによれば1万株200種の東海随一の紫陽花スポットと言い、名前の由来となる伝え話のある山寺は、かつては女人禁制だったと言います。
 平日のこの日も、アジサイ目当てに多くの人が、訪れていました。
 山間部だけに高齢化などにより、人手が足りないのでしょうが、ブラッシュアップすればリピーターも増すことでしょう。この日もテレビ取材が入り、翌日、名古屋テレビで放映されているのをたまたま見かけました。山県市役所でも、大々的にネット配信(https://share.google/BAbcxBg9I0rzCHQqT)していますが、さらに磨きをかけたいところです。
 岐阜市や粟野にも多くの隠れた資源が、息づいています。歴史までコンパクトシティ化してはいけません。自分たちの宝に地域住民は関心を寄せる一方、市は市の魅力を戦略的・計画的に講じ、地域と協働してブラッシュアップする責任があります。
 道三親子が対峙した鷺山城と岐阜城の構図などは、壮大なランドスケープとなりそうです。私たちの地域の眉山山頂の鎧塚古墳もしかり。琴塚古墳より古く、古墳時代からの悠久の歴史を秘めています。
 アジサイに触れ、改めて考える機会をもらいました。地域の宝について地域の共感を得るには、まずは一緒に学び合う仲間づくりから。

▲アジサイの時期に合わせて、本殿ではご本尊の御開帳が行われていました
▲このところの真夏日にお疲れ気味のアジサイも、水際では色彩豊かに
▲手水鉢に浮かべた花の演出には好感が持てる・・・蛇口が水道栓!
▲はがきの樹とも呼ばれる多羅葉は、山県市の天然記念物に指定されている。粟野の済法寺境内のより太い
▲満開を迎えた菩提樹も山県市の天然記念物
▲ツルアジサイのイワガラミが樹木を伝う
▲イワガラミの花と萼片
▲コイが泳ぐ弁天池

2025.6.18 台風シーズン

 公民館講座「災害への備え」を受講してきました。多くの参加者が(女性が多い)、備蓄品や簡易トイレの実習など1時間半ほどの講座を、楽しみながら、熱心に学びました。
 特に印象深かったのは、過去の災害を語り継ぐことも重要との講師の指摘です。昭和34年、この地方に甚大な被害を与えた伊勢湾台風の記憶は、参加者の中にも体験者が多く、我も我もと語り合いました。
 その日のことは、長良川の堤防沿いに住まいのあった小学生の私の脳裏にも深く刻まれています。名古屋に努めていた父が、昼下がりに帰宅し、南の窓にトタン板を張り終えると、また勤務先に戻っていきました。「今度の台風は大きい。なのに新聞やテレビも東京に関係がないことは大きく報道しない」。何につけても、地方のことは後回しの時代だったのでしょうか。父は、仕事の関係上、台風の進路には注意を払っていたおかげで、最低限の備えをすることができました。深夜、母と兄の3人は、神様にお祈りする長い時間を過ごしました。うなりをあげて一呼吸置きながら吹きつける風、ミシミシと音を立て今にも壊れそうな木造2階建て。台風の目に入り、しばし穏やかになりましたが、再度うなりを上げ始めました。ロウソクの灯りを囲み、家屋の一番北のトイレの前の平屋部分でおびえ、風が収まったのはまだ夜が明けぬ時分。ひと眠りしたものの寝不足のまま、長良川の様子を見に行くと、思ったほど水かさはありません。もちろん濁流が大木を押し流してくる様子はすさまじい迫力。水が引いたのは4日ほどたってから(当時は今よりも流下速度が遅かったのです)のこと。びっくりしたのは、砂山に覆われていた河原が、石だらけの景観に変容していたことです。駆けまわり、落とし穴をつくった遊び場は、影も形もなくなっていました。
 町内では、尊い命が失われました。4軒隣の平屋家屋が倒壊し、男性が亡くなったことが伝えられてきました。
 電気の復旧がいつだったか、記憶はありませんが、給水車が訪れた翌日は、真っ赤に燃えるような夕焼け。水にはあまり困った様子はなかったので、近所のお宅から手汲みポンプの地下水をもらったかもしれません。
 市内の至る所で浸水被害がありましたが、幸いにも私の住む地域では大規模な浸水がなかったおかげで、生活は比較的普段に戻るのは早かったようです。
 その数年後、第二室戸台風が、昼前にやってきました。風は、負けず劣らずの強さで、怖さもひとしおでしたが、夜間の台風ほど怖いものはありません。
 当時に比べて、海水温は上昇しています。異常気象による超巨大台風の襲来が、あってもおかしくありません。
 大切な情報源は、当時と同じようにラジオでしょうか。今では、欠かせないスマホの充電もできるソーラーラジオをホームセンターの特価で安く買いました。気を付けないといけないのは、ネット通販では1万円前後の品も見受けられることです。また、同時に購入したソーラーランタンは、すぐに壊れてしまいました。安価で優れた災害用品の開発・提供が必要です。
 食料のローリングストックや停電、断水に供えた備蓄品の購入や定期的なチェックが求められています。

2025.6.12 団地を1周~その2~

 コミノネズミモチ(5月22日に開花しているのを発見)はすっかり花を落とし、テイカカズラ(5月28日に開花)も散り散りに残る程度。一方、サカキ、ムラサキシキブが咲き始めました。ナワシロイチゴが実を付けています。ハリギリと思われる若木が生えています。この辺りでは珍しい。タラの芽と並ぶ山菜の代表格、コシアブラもタラの生えているあたりの山林に見つけました。もう食べるには遅いですが。
 9日に梅雨入りした東海地方、いよいよ梅雨も本番です。
▲低木のコミノネズミモチはとっくに散っていました(5月22日撮影)
▲つる性のテイカカズ、ほとんど散っていました(5月28日撮影)
▲サカキ(6月12日撮影)
▲ヤブムラサキとそっくりのムラサキシキブは、葉の手触りと花のつき方で見分け
▲上向きに咲くムラサキシキブ、コムラサキシキブとは樹高や葉のふちのギザギザで見分け
▲ハリギリと思われる若木
▲キイチゴの仲間
▲山菜の女王と称されるコシアブラ。オオ様はタラの芽

2025.5.30 アオサギ

 あたかも乱開発の様相を呈している粟野西。狭い道路を挟んで、あっという間に集合住宅や戸建て住宅が棟上げ。
 肩身の狭そうに田植えの終わった水田には、タニシやオタマジャクシ、ドジョウがまだ生息しています。アオサギが餌をとるために飛来しました。水田に訪れる最大の鳥です。
 最近は、営巣にやってきたケリの姿を見かけることがめっきり少なくなりました。飛ぶ姿はカモメのようで、けたたましい鳴き声のあの鳥です。専業農家が減って、耕し、水を張る季節が連休にずれたため、巣が破壊されてしまうせいもあるのかもしれません。早春のけだるく薄曇りの天高くから降り注ぐ、ヒバリのさえずりも近年聞くことがありません。
 一方のアオサギ。困りもの、との他県の人の話を聞きました。裏山に数十羽のアオサギの巣があり、朝に飛び立ち、また戻って来るを繰り返し、住民は大変、木々も大量の糞のせいで枯れているそうです。さらに、大きな体で早苗を踏みつけるため、迷惑千万とのこと。
 人と自然、人と動物の共存には、人と動物の程度こそ違えど、ともに悩みは尽きないようです。
▲アニメ「君たちはどう生きるか」の怪しげなキャラクター・アオサギを彷彿とさせます

2025.5.30 ホタルブクロ

 粟野では初めて、鳥羽川堤で白い花弁のホタルブクロを数株見つけました。破れていた花袋があったのでよく見ると、中にクモが身を隠しています(アズマキシダグモでしょうか)。獲物を待っているのでしょう。この辺りは、河川改修前は、怖いほどにホタルが乱舞した場所。いつか復活してほしいもの。ホタルブクロとホタルの景観が見られたら、最高ですね。

▲クモが、ホタルを閉じ込め光を遊んだと言われる花袋で獲物を待っている

2025.6.9 ササユリ

 畜産センターのササユリが見頃を迎えていますが、奈良にお住まいのお二人から、ササユリの情報をいただきました。
 まずは、I さんから「奈良県桜井市の大神神社の朔日参りで笹百合園に何本か咲いていました。その大神神社の摂社(本社に付属し、その祭神と縁の深い神を祀った社)の奈良市の率川(いさかわ)神社では、毎年6月7日にゆりまつり※があり、3,000本のササユリが奉納されます。宇陀市の農家に頼んで育ててもAらっているらしい」との情報。
 宇陀市にお住いのAさんからは、「大神神社のササユリは、宇陀市大字菟田野(うたの)大神の住民が毎年神社に届けているそうです」。また、「昔は水田の土手によく咲いていたけれど、イノシシが球根を掘りつくし、なくなってしまった」とのこと。「ササユリが咲く頃が、田植えの時期だった」そうです。
 歴史に抱かれた奈良の地ならではの、ササユリにまつわる生のお話が聞けて、ネット社会に感謝です。

※率川神社の「ゆりまつり」:「三枝祭」とも呼ばれ、大宝元年(701)制定の『大宝令』には、すでに国家のお祭りとして定められ、大神神社で行われる鎮花祭(はなしずめのまつり)と共に疫病を鎮めることを祈る由緒あるお祭り。

これ以前の日記は、バックナンバーをご覧ください。「直近の日記」は、再編集の作業中です。

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