
2020年11月29日 ちょっとつぶやいてみるけど・・・これでいいのかな?
2025.12.8 ドロバチ

小さな徳利型の巣は時折見かけますが、10cmほどもある巣は初めてです。ベランダのある2階の外壁にへばりついているのを、10月に気付いていたのですが、なんとなく可哀想で、そのままにしておいたのですが、中には、まだいるのかな。年の瀬の大掃除で、取り外すことに。とても固いので、金ベラを使って削り取りました。中からは、さなぎ状態の幼虫が5匹ほどでてきました。これだけの巣をこしらえた親バチの苦労と生き物の命を思うと、ちょっと落ち込んでしまう師走の朝でした。ごめんなさい。


2025.11.27 酒の肴三珍

日本酒が美味い季節。肴を三つ挙げよと言われたら、迷わずに「鮒寿し」、「カラスミ」そして「いかだばえ」。いずれも魚系なのが、日本酒ならではですが。2品目まではさして異論はないと思います。でも、「いかだばえ」を知らない人は多いでしょうね。何しろ、岐阜の名産ですから。シラハエと呼んでいるオイカワの稚魚の佃煮です。関西だと釘煮が有名ですが、海魚のイカナゴに比べて、川魚ならではの野趣に満ちた味わいがあります。岐阜の名産店「吉むら」は、私が育った京町のご近所の店。久しぶりに食べたくなり、訪ねたけれど、ここ3、4年漁師がいなくなり、材料が入手できなくなったとか。20年近く前、近くの鳥羽川に2人の漁師らしき人が四手網を携え、下流から流れに逆らって歩いてきた場面を目撃したことがあります。こんなところまでこないと、稚魚がいないのか、資源が失われたかと愕然としたものです。今では、モロコを代わりに使う店まで出現。しかし、長良川の川べりには、稚魚はたくさん群れているのを見ると、漁師のなり手が少なくなった方が原因のように思われます。一時、鮒寿しもニゴロブナが絶滅の危機にありながら地元の努力で引き継がれているのに、どうにも合点がいきません。農水省や岐阜県のホームページの岐阜の郷土料理にも掲載がされていません。認識の差なのでしょうか、生産者からの問題提起がないのでしょうか。岐阜の名産を絶やさないための努力は、誰が担うべきなのでしょうか。あの味が二度と味わえないのは、返す返すも残念で仕方ありません。

2025.11.3 今日は手塚治虫生誕「マンガの日」

今や漫画文化は、クールジャパンの中心。世界中で日本に興味を持つ人が増えた要因の一つと言えます。
物心つく頃、頭が悪くなるから読んではいけない、と父親から言われました(ディズニーの白雪姫などの絵本は与えられたのに)。確かに、最初に目にした漫画は、暗く、ストーリーも理解しにくい代物でした。しばらくして、兄が何処かで借りてきた杉浦茂の忍者の漫画は、脳裏に焼き付くインパクトがありました。大きな蝦蟇にまたがった児雷也は、まさにポップカルチャー。「漫画は面白いな」と思った最初の記憶です。
その後、しばらく漫画とは距離がありました。貸本屋体験は遅く、小学生の時に開店した店で(私は借りる手間が面倒で利用した記憶はあまりありませんが)、棚に並んだ墓場鬼太郎には共感できないものの、目を引かれました。
本屋の店先で「少年サンデー」を目にしたのは小学校4年の頃。1冊30円でしたか?寺田ヒロオの「スポーツマン金太郎」もその時代ならではのほのぼのした作品でした。横山光輝の「伊賀の影丸」には、一コマ目の小さな絵にも心躍らせました。獅子丸が危機に陥る下りでした。漫画雑誌の双璧である「少年マガジン」(少し遅れで創刊された当時の「少年ジャンプ」は、友達はハマったようですが、どうも魅力を感じませんでした)は、ちばてつやの「ちかいの魔球」。月刊誌の「少年」も、漫画の小冊子の付録も魅力的で、「鉄腕アトム」と「鉄人28号」、白土三平の「サスケ」を何度も読みふけりました。
大人になってからも、漫画は手元に。画力、ストーリーともに秀でる石森章太郎の「佐武と市捕物控」、そして「ゴルゴ13」のシナリオも捨て難い。ジョージ秋山の「浮浪雲」も良い。バタ臭さで圧倒したのが、モンキーパンチの「ルパン三世」と寺沢武一の「コブラ」。まだまたあるけれど、またの機会に挙げるとして、伊賀の影丸のほかにも初見で忘れがたい一コマを記します。
いずれも、A4判の週刊誌の見開きいっぱいに描かれた画の圧倒的な迫力に目を奪われました。それが、「どろろ」の2匹の化物が歩いて行くシーン、「ドカベン」が下駄を履いて駆けてくる初登場シーン、「犬夜叉」の百足女郎が蠢くシーン・・・今でも心が躍ります。
言うまでもなく、発想は、漫画の命。高橋留美子、あだち充、小池一夫が創る数々の世界は、まさに芸術的。
今朝の新聞に劇作家も描かない物語が掲載されています。メジャーリーグのワールドシリーズで優勝したドジャースの記事です。翔平が1試合9打席全出塁、由伸が4勝中3つの勝利というヒーロー漫画でもありえない結末、それに、チーム一丸となった予見不可能なドキドキのストーリーが、息もつかせず展開されました。これは、間違いなく漫画より奇なり。

2025.10.27 秋の庭に咲く野草

一気に冷え込みが強まり、秋の草花も大慌てしながら、精いっぱい花を開かせています。ホトトギスは、数年前、粟野台の団地の樹下で見かけましたが、掘り取られたのか、今は見かけません。庭のホトトギスは、園芸店で昔買い求めたもの。この夏の日照りにもかかわらず、元気に満開。鉢植えの白花ホトトギスは、山県市の奥の大桑の崖下に生えていた株が挿し木で増えたもの。その後、訪れた時には、跡形もなく姿を消していました。オミナエシ(トップ写真)は、園芸店で買ったもので、野生種は10年以上前に長良川の左岸で一度見かけたきり。
昭和30年~40年にかけて、サギソウが300円ちょっとの値段で売られ、素焼きの鉢に青々としたミズゴケで植えられていました。よく見ると、モウセンゴケが混じって生えています。自生地で掘り取られたものに間違いありません。
この頃には、通販でサボテンの種を入手できました。園芸の月刊誌の広告で業者を探しては、園芸店ではまだあまり売られていなかった多肉植物やサボテンの株とともに、種を買い求ました。バオバブや奇想天外など、今では入手不可能な種類も、数粒千円以下で売られていました。ワシントン条約は1975年に発効していますから、それ以前のことです。
地球温暖化やプラスチックによる環境汚染などが指摘されて久しいのですが、環境保護や生物多様性に関する意識は、今日、どこまで高まっているでしょうか。


2025.10.23 神無月

旧暦10月は、神無月。全国の八百万の神々が、出雲の国に集まる月。なので、出雲では神在月と言うそうです。9月にスタートしたNHKの朝ドラは、小泉八雲を主人公にした物語が放映中。没落士族の娘が主人公。実在の人物をモデルにするのが、当たりはずれがないようですね。
そう言えば、私の父の先祖は下級?武士だったらしく、廃藩置県で、わずかばかりの公債証書が与えられたのでしょう。東京の浜町あたりの生まれのようですが、どうやら住まいの賃貸で生業を立てたようです。当時は、土地よりも家屋の方が価値があったのでしょう。しかし、関東大震災ですべて焼失し、地方へと逃げ延びました。9人兄弟のようですが、松江方面にも縁者がいたようで、父と母も訪ねたことがあると聞きました。町のたたずまいに心を奪われ、母はもう一度行きたい、とよく話していました。
私も小泉八雲邸に、昭和50年に訪れました。その当時も、少なからず人が訪れていました。屋敷を守る、品の良いおばあさんは、巷で有名でした。普段着の着物をしゃんと着こなし、気品を備えた人でした。ネットでも、名前がわかりませんが、八雲邸を訪ねさえすれば、多分判明するのでしょうね。
先日まで暑さに閉口していたのに、急に寒くなりました。一気に秋は深まりそうです。







2025.10.14 石をも貫く

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