
2020年11月29日 ちょっとつぶやいてみるけど・・・これでいいのかな?
2025.2.26 幸せの黒い鳥

鳥羽川に、やや落ち着きのなさそうな動きをしている真っ黒な鳥が、1羽だけ泳いでいました。遠目ですがくちばしが白いのが確認できます。オオバンのようです。この水鳥は、幸せの黒い鳥と良われています。潜水してくわえてきた水草を、カモに横取りされても怒らないので、カモたちにとっては、食べ物を恵んでくれる「幸せを呼ぶ黒い鳥」なのだそうです。カモより身体が小さいので喧嘩にならないみたい。理由はともかく、幸せを分け与える幸せ?
外来種のオオカナダモが繁茂するようになった鳥羽川ですが、冬場は枯れてるはず。だから、あまり見かけないのでしょうか。


2025.2.21 幸せの青い鳥

翡翠色の鳥が飛翔していました。カワセミ(漢字で翡翠)です。しかも2羽。空に溶け込むコバルトブルーは、夏がお似合いですが、春は、恋の季節。オス同士が縄張り争いを繰り広げる時期でもあります。良い漁場はメスへの求婚に欠かせないのです。鳥羽川の生態は、随分変わってしまいましたが、それなりに餌には困らないようです。2羽は恋人同士かオス同士か、果たしてどちらでしょう?



2025.2.20 小米雪

朝、粉雪(小米雪)がうっすらと地面を覆っています。霜柱の上にも。
昨日、膨らんだ頭を地表に出した福寿草は、厚みのない雪の下に隠れてしまいました。シモバシラ(シソ科の植物)の根元に、名前の由来である氷柱(毛細現象で出来上がった)が出来上がっています。
政府が備蓄米放出を決定しました。もちろん、市場価格はまだ下がりません。食糧の自給率に乏しい国、主食を供給する農地は減少の一途をたどっています。小米雪が消えるがごとく。





2025.2.11 鯖を読む

水産庁が、太平洋の鯖の捕獲量を、8割減とするとか。2年で成魚になっていた鯖が、何らかの理由で4年かかる(地球温暖化によるプランクトンの減少の影響とか?)ようになったとか。産卵前の小さな魚を乱獲した結果、生息数が激減したのが背景にあるとか。一方、単に小型化しただけで、脂も十分乗った成魚なのだ、とか、マイワシが豊漁で回遊できず沖に遠ざかってしまい資源量が少なくなったわけではない、とか、議論百出。昨年の11月1日には、八戸港で3年ぶりに水揚げが1,000トンを超え豊漁に活気づいたばかり。
何が正しいのやら。自給率の低い日本にとって水産業は欠かせないのに、何やら情けない気がする。自然界のメカニズムの不思議とも言えるが、調査研究と迅速な結果公表と解決策の一連の体制が必要。呪縛にかかっているのか、対策の遅れが目立つようだ。結局、令和の米騒動ではないけれど、対症療法による後始末行政のそしりを受けてしまう。
話は変わって、半世紀前は、お魚離れと言われ、私の育った町でも、魚屋と八百屋が並んでいたけれど、ほどなく魚屋は店をたたんだ。
農水省が後押しして昭和の末期には、魚の料理教室(その名も「おさかな教室」)を巡回実施した。岐阜市でも参加者を募り開催した時、訪れた講師が「八戸でもやりました」と言う。「漁港なのに?」といぶかしがる私に、それなりに高く売れる都心などへ売りさばかれて、地元に魚が出回らないから魚離れの傾向が見られるとの答え。岐阜枝豆の粒ぞろいは関西方面に引き取られることを思い起こす(コロナ禍の時は、地元にも良品が安価に出回っていた)。
京都の出町桝形商店街は、鯖で有名なことを、世界ニッポン行きたい応援団で放映されて初めて知った。たまたま一昨年の師走に、半世紀ぶりに訪ねた。夫婦で営む小さな店が、残っていたことに感動してしまった。チャンポン麺や、かす汁が美味しかったが、鯖寿司の店とは知らなかった。大きくなっておばあさんそっくりの顔になった孫が、鯖寿司をこさえていた。 鯖の価格高騰のあおりを受けるのは、消費者だけではない。
便乗値上げのための鯖読みは、ごめん被る。


2025.2.6 「再開発事業」凍結?!

今季最強寒波により、2日にわたり、雪に見舞われている。中心市街地は、積雪2cmとか報じられているけれど、粟野は、昨日が10cm、今朝は15cmといったところ。橋の上は、20cmはありそう。
2025年度着工予定だった岐阜駅北のツインタワーが、人手不足や資材の高騰などで、急遽延期となったとの記事が、新聞の1面に踊った。アパレル・繊維の岐阜市の象徴だった問屋町と言われるこの地区は、戦後戸板1枚からの商いで始まったとも言われ、全国からのバイヤーが集まり、商人宿も含め地域は活況を呈した。
市の呼びかけで再開発研究会が発足したのが平成元年度。しかし、当時もまだ、店舗1階だけで12階建て分の売り上げがあったとすら言われ、再開発へのモチベーションは、希薄であった。研究会が地元の銀行の会議室分かりて開かれていた時も、絶えることなく、自転車に乗った銀行員が、川の鞄を片手に、街区の細い路地を巡り、店舗を回って帰ってきた。
現在、シティタワー43がそびえるいわゆる駅西再開発地区は、当初、ホテルの用途だったが、名古屋三越出店を前提にした商業床に用途変更された。しかし、当時の市内には、3つの百貨店はじめ大規模スーパーが乱立し、さらに百貨店が出店すれば、横浜市を超える商業床となる。出店は見送りになっても当然だった。
やがて年月を経て、名古屋県内でもダントツに高額だった地価が急落した結果、住宅用途でも建設費の採算が合うこととなり、マンションを主たる用途として立ち上がったのである。
一方、名鉄岐阜駅前のパルコが、マーサに移転したジャスコの跡地周辺での第2パルコ建設の意向を示す。が、2年後、バブル崩壊で、立ち消えとなる。高島屋南地区の再開発研究会も、平成元年度に設置されるが、完成は、令和4年にまで要した。
再開発事業には、権利者の同意、出店調整などに長い年月がかかり、当然、時代背景に大きく左右される。そういう意味では、映画館の立て直しにこだわった岐阜シネックスビル(平成6年完成)や長住町5丁目のホテルなどのテナントの入る木材などを扱う会社本社ビル(平成3年完成)は、異例ともいえるが、岐阜資本の企業ならではと言えよう。
近年、中心市街地のマンションも過剰傾向にあるとも言われる。他都市では、高層ビルの建設を厳しく制限するケースも見られるようになった。
中心部に機能を集中し、利便性とインフラの維持費を軽減するコンパクトシティが流行りとなっているが、災害時や住まい方を考えた時、岐阜市の基本構想の、多様な核のあるネットワーク化された都市を目指す観点が大変重要だ。
中心市街地はそれにふさわしい都市機能を、観光地は景観にも配慮し魅力向上を、そして郊外型の居住地は住環境、歴史文化、里地里山の環境保全など地域の特性を活かしたまちづくりが欠かせない。都市計画を行政の身に白紙委任することなく、地域の将来あるべきビジョンを、市と地域がともに描き、役割分担してまちづくりを進めるエリアマネジメント、そして都市内分権が求められるはずだ。




2025.2.4 「長良川」映画化

岐阜市出身の作家、松田悠八さんの小説「長良川」が、映画化されました。映画化の話が持ち上がったのは、さかのぼること平成10年代半ばと記憶しています。市民で後押ししようという会が発足するも、かつて巨額の資金が映画製作に要したとのトラウマもあってか、支援の輪は残念ながら、広がりませんでした。いつか立ち消えとなっていましたが、このほど映画化されたことを知り、感慨深いものがあります。
原作では、戦後間もない昭和20年代、子どもたちが長良川を舞台に遊び回り、やがて事件にも遭遇します。実在したオトコオンナのしょーちゃんも登場。柳ヶ瀬では有名人で、居酒屋で飲んでいたとき、一度だけ、通りを歩いているのを見掛けたことがあります。
宝田明をキャスティングの意向をチラと披露されたこともありました…。
今回、メガホンをとった金子雅和監督は、原作をもとにしたオリジナル脚本を書き上げ、「光る川」のタイトルで映画化をしたとのこと。映画はすでに完成し、昨年11月には、スペインのヒホン国際映画祭で賞を受賞したそうです。原作はかなりアレンジされているようですが、現代にあったメッセージ性が込められているに違いありません。
3月2日、シネックスで上映が始まるそうです。楽しみです。
2025.2.2 新しい行事食

行事食というと、伝統的な食べ物が、頭に浮かびますよね。年越しイワシ、節分イワシもそう。そういえば三輪地区の一部にはイワシの頭を門に飾る風習もあったなぁ(まだ継承されているかしらん)。
節分汁(鬼除け)を初めて食しました。冷凍したはずのイワシは切らしていたため、この日は、巻き寿司と節分汁。恵方巻きに添える献立として、けんちん汁やうち豆汁(福井県)をヒントに、2010年頃から考案され14年に節分汁として蒸し大豆の業者が提唱したとのこと。江戸時代の平賀源内のウナギのような商魂たくましい恵方巻きのイメージはいまいち良くないけれど、我が家で作る分には、まぁ、良いんじゃない?!
節分汁、確かにお豆はおいしかったですよ。豆のスープは苦手だけれ
ど、これは良いかも。
2025.1.26 ワクワク…

恋の季節の始まり…カワウがもう婚姻色におめかししていました。アオサギはまだ、ダイサギはもう少し後のようです。
カワウの婚姻色は、頭が白い羽毛になり、ももの一部も白くなります。
アオサギは、目先とくちばしの先までと足が赤っぽいっぽなるそうです。
ダイサギは、くちばしは黒、目は赤橙色、目先は青色とか。
しばらくは、気を付けて見るようにします。
この日は、岐阜県知事選挙の投票日でした。「安心とワクワクにあふれ、人やモノが集まる岐阜県」を目指す新人の江崎禎英氏が当選。
平成15年に従来の不在者投票から、現在の期日前投票制度に変わりました。該当する人は、どちらも当日、投票できない人が対象なのですが、実際の運用は、半世紀前とは大きく異なります。50年前は、不在者投票に行くと、「どうして当日、投票できないのか」という疑いをかけられるところから始まっていました。とにかく高圧的だった記憶があります。候補者の一覧表も、投票所の外に張り出してあって、確認したい、と出ようとすると、とても嫌な顔をされたものです。
今では、考えられないですね。それでも、今回の知事選挙は、投票率36.21%と過去2番目の低さ。立候補者が2人という選択肢も影響したのでしょうが、投票が権利であるとの認識だけでは、投票制度が変革されても、投票率向上にはつながらないのが実態のようです。他国のように投票を義務化することも議論の余地はありそうですが。




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